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2005年 05月 26日
ボツネタ(K-1は21世紀のグラディエーターか?Newsweek 2005/4/6)
さて、皆さんはどう思う? K-1は正当化されるべきか、それともやめるべきか。何よりも私に見えないK-1の魅力があるのなら、教えてくれませんか?

Newsweek 2005/4/6 p17
ニューズウィークで楽しみにしているコラム、フローラン・ダバディー氏のTokyo Eyeがある。

今週のテーマは、K-1だ。
大雑把に言ってしまえば、氏はK-1に代表される近代的な格闘技を否定している。
詳細は、Newsweek 2005/4/6を買ってもらうとして、せっかくなので、ここで自分の意見をアップしておこう。

まず、、、
自分の好きなスポーツが、どれだけ面白く、どれだけ魅力的でも、それを他人が理解するとは限らない。
これは、スポーツに限らず、映画や音楽などの芸術にも言えるし、嗜好における全てにおいて、当てはまると思う。
そして、その面白さに優越は無い。

が、優越が存在すると思っている人に限って、自分が分からないモノを見下し、自分の好きなモノを共有出来ない人を見下す。

なので、「私に見えないK-1の魅力があるのなら、教えてくれませんか?」と問われても、観戦して魅力を感じないなら、それまでだと思う。
また、格闘技とそれに熱狂している人を見て、気持ちが悪くなるというのも、想像出来る範囲の反応だ。

嗜好が合わない。
これだけではダメなのだろうか?




とりあえず、紙面を使って、K-1とUFCの批判を行っているので、それについても意見しておこう。

まず確認しておきたい事がある、K-1の定義である。
自分の認識としては、「K-1とは、ムエタイ、もしくはキックボクシングのローカルルールの事」である。
しかしながら、氏のコラムで語っている内容とキャプションとして使用している写真は、VTもしくはMMAを指している。
最近、FEGの興行でも、MMAを扱うことがあるが、それとK-1は別として考えた方が良いと思うのだが。。。
ヨーロッパでは、ボクシングや格闘技、そしてもちろんK-1がはやらない理由は、知識人と女性の大多数が、たとえスポーツの枠の中であっても、あらゆる形の暴力に反対しているからだ。
 女性はこういうスポーツを見に行かないし、それに夢中な男性に知性のなさや単純すぎる野蛮性を感じるから、ほとんどつき合わない。
確かに、メジャースポーツになりえないが、ドイツではボクシングの人気は高いし、フランスのレスリングや柔道はレベルが高く、K-1の土台を築いたヘビー級の選手の多くはオランダで活躍していた。

比較対照として、ヨーロッパでの格闘技シーンを持ち出しているが、後半の部分は、別にどのスポーツにも当てはまるのではないだろうか?
格闘技が、ただ直線的に野蛮なだけで、他のスポーツが野蛮で無いとでも言うのだろうか?
また、それに対する他人の評価(この場合、女性の評価)というのは、それほど大切なのだろうか?

ちなみに、自分の好きなスポーツである、アメリカンフットボールはもちろん、ロードレースやビリヤードにも(色々な意味においての)野蛮さは存在するし、野蛮さを持ちながら、ルールに乗っ取り、相手に対する尊敬を持ちながら、相手を倒すというのがスポーツ全ての根底にある部分だろう。
その勝敗の対比こそが、スポーツをやるうえで、または観戦するうえで、カタルシスを得られる醍醐味なのではないだろうか?

その競争が嫌いだというのなら分かるが、スポーツそれぞれの優越を語るのは、ナンセンスだと思う。
柔道や空手、合気道などは、気高い哲学と人間を尊敬する「道理」に基づいている
というのも良く分からない。

ボクシングやキックボクシング、柔術はもちろん、総合格闘技にしても、指導者がしっかりしていれば、気高さと人間性を学べるし、「柔道や空手、合気道」でも、指導者次第で、気高い哲学と人間を尊敬する「道理」は育たないであろう。

K-1を対極に位置しているが、K-1は空手から派生したものだ。
決して対極に位置しているわけではない。

UFCについても
アメリカ人の観客はクレージーな叫び声を上げて、殴り合いをあおっていた。金網の中にいる選手は、明らかに人間以下の扱いだった。
と言及している。

また、
アメリカはスポーツの最先端にあるから、もしこのUFCがK-1の進化した形だとしたら、とても心配だ。
という懸念は勘違いとしか思えない。

ともあれ、UFCだ。

マウントポジションにおける打撃は、確かに刺激的だ。
日本では、そこからの関節の攻防をレベルの高い攻防としており、アメリカにおけるパウンドでの盛り上がりを(観客の)レベルの低さと指摘する声があるが、これも好みなので、上下をつけるのは無意味だと思う。
# 日本には柔道という下地があり、観戦という意味においては、またプロレスも同じ意味において下地があり、対するアメリカにはレスリングという下地がある。その格闘技の土壌によりVTでの戦い方と反応が違ってもおかしくない。
日本ではポジショニングから関節での一本勝ちが喜ばれ、米国ではタックルで倒してからのパウンドが喜ばれる。
# 格闘技ファン内でさえ、優越をつけたがるのだから、格闘技に嫌悪感を覚える人がバウンドを嫌うのは当然ともいえる
ともあれ、パウンドに大歓声があがることが、そのまま観客の野蛮性と捕らえるのは間違いだ。

さて、UFCのファンだ。
UFCのファンの良い所は、良くも悪くも単純な所といわれてる。
アメリカ人と他の国の選手が戦えば、USAコールで自国の選手を後押しするが、他国の選手でも、素晴らしい活躍をすれば、拍手で称える。
決して、「人間以下の扱い」では無いということを理解してもらいたい。。
ちゃんとしたスポーツになるかどうかは、関係者やメディア、選手、観客次第だと思う。ビジネスなどに魂を売らず、「野蛮な本能」に刺激を与えなければ問題ないはずだ。
これも、そのまま他のメジャースポーツにあてはまると思う。

氏は、サッカーのナショナリズムが無くなってきたとしているが、自分にはそう思えない。
世界的なナショナリズムの盛り上がりに、保守的な思想の台頭を考えると、世界で一番メジャーなスポーツであるサッカーが逆行しているとは思えない。
# 選手に無くなっても、ファンに無くなっているとは思えない。

直線的ではないがサッカーこそが「野蛮な本能」を与えている。
それは、サッカーというスポーツが理由なのではなく、世界で一番メジャーなスポーツであるという理由で、だ。
それによって、サッカーというスポーツを批判するというのも間違いだろ思う。

なんだか、まとまらなくなってきたので、最初の質問に戻ろう。
さて、皆さんはどう思う? K-1は正当化されるべきか、それともやめるべきか。何よりも私に見えないK-1の魅力があるのなら、教えてくれませんか?
VTのような暴力に直線的なスポーツが、ここまでメジャーになるのは日本くらいだが、放送時間をもう少し遅い時間にしてくれれば、教育上などの問題は無くなるであろう。
あとは、嗜好の問題だ。
見る人が減れば、興行も成り立たないのだから、魅了を感じないのなら、見なければ良い。

ちなみに、ローマの時代の人々を「当時の社会の暴力と未開、つまり原始的な生活を象徴していた。」というのは短絡的な考え方だと思う。
ネット上での「殺人シーン」の氾濫を見れば分かるが、時代に関係なく、人間というのは、残虐なシーンが好きな生き物なのだ。

そして、その残酷なシーンに格闘技は直線的に結びつくが、その野蛮性は他のスポーツにも言える。
(繰り返しになるが)それによってスポーツの優越を断定するのは間違いだ。

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ちょっと考えてみました対抗戦
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by barry_lions | 2005-05-26 12:52 | Memo


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