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2004年 05月 18日
戦争論-平和への道。
その昔、小室直樹著の「新戦争論」を読んで、戦争が何故無くならないのかを理解した(と思った)時があった。
細かくは覚えていないが、ラウゼウィッツの「戦争論」を踏まえて、(現在行われているような)平和運動をするのではなく、戦争を押さえる(減らす)仕組みを作らない限り戦争は続くという感じだったはず。
# ラウゼウィッツの「戦争論」との違いが思い出せないが、本の山の中からの救出を断念。

10年以上前の話だが、あるヴォーカリストが、反戦や政治色の強い歌詞が流行っている事に関して「ジョン・レノンが歌って変わらなかったのに、俺たちが歌っても世の中が変わるはずが無い。」とインタビューで答えていたのに、衝撃を受けたのも同じ時期。

戦争論なるものをあまり読んでいないので(避けてきた?)、自分と同じような主張の人が既にいると思われるし、またその主張を完膚なきまでに叩きのめす意見が出ているかもしれない。
それでも、とりあえず、自分の考える戦争論(というより平和への道)を書いてみたい。

戦争とは2つの側面をもっていると思っている。
マクロとミクロ。
(戦争を引き起こす)政治的行動と(戦争に引き出される)個人的感情。
つまりはこれが、そのまま「現実論」と「理想論」とに分かれると考えている。

現実論で「戦争論」が語られるのは、マクロである政治的側面での衝突の回避。
理想論で「平和運動」を訴えるのは、ミクロである個人的感情の中の平和への願い。
本当に平和を希求するのなら、この二つが別のモノだと考え、そして同時に平和に向かわないと無理だと思う。

外交や政治で戦争が収まっても、遺恨の根が残っていれば、いつかは紛争に繋がる。
民衆がどんなに殺し合いを望んでいなくとも、外交の最終手段として戦争が展開される。

完全に分けて考える必要は無いかもしれないが、平和への道しるべが違う事を認識する必要があると思う。
平和という終着駅は一緒のはずなのだから。
「平和運動」を無意味と切り捨てる「現実論」。
「戦争論」を非人道的と主張する「理想論」。
皮肉を言えば、平和に向かっている両者が相容れないという事は、人間には「平和」など実現出来ないという証拠なのかもしれない。


戦争を回避するシステム(国際法?)を作るのは難しい。
様々な国、様々な思想や民族、そして地域が利権を争うのが外交なのだから、(戦争でなくとも)衝突は避けられない。

どんな時でも「平和」を希求する思想を持つことは難しい。
「被害者と加害者の調停と対話プログラム(修復的司法)」で、親族や大切な人を殺された被害者に加害者を許せと言っているようなものだ。しかしながら、遺恨が残れば衝突に繋がる。

どちらもとても難しく、具体的な案すら出て来ない。
また、案が出来たとしても、それは指輪物語で「指輪を捨てに行く」という覚悟が出来たに過ぎず、険しい道はそこから先にある。
が、平和を欲するなら、この二つが協調して、進んでいかないと戦争は繰り返される。


追伸。
本当は、今週のテーマ「今一番欲しいものは?」で「こんな戦争論」としてエントリーするはずが、グダグダしていたら、週のテーマが変わってしまいました。
なので、内容も中途半端な感が否めないですが、とりあえず投稿してみました。
もうすこし内容がまとまったら改訂か新エントリーするかもしれません。


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-戦争は嫌だ--No War- Dear citizens of Iraq
人道的な戦争は存在しないEccentric!
繰り返してはいけない歴史今日の戯言・昨日の譫言
私は理想論者じゃありません茜色のこころ。
戦争を回避する究極の方法鉄鼠
今一番欲しいものは?
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by barry_lions | 2004-05-18 16:53 | Memo


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