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2006年 06月 09日
無敗。
a0011865_1812692.jpg大相撲から転身し活躍したテンタさん急死

ヒクソンの無敗神話は記録に残っていなくても、琴天山の無敗記録は大相撲の歴史に刻まれている。
レスリングでの実績を引っさげて各界入りしたジョン・テンタは、序の口、序二段、三段目と連続優勝を果たし、24戦無敗のまま大相撲を後にした。
アメリカンフットボールでも活躍したとされているテンタだけに、そのまま大相撲を続けていれば、大相撲の歴史も変わったであろう。
もちろん、ポテンシャル的には横綱クラスであっても横綱になれないケースもあり、彼が名横綱になったはず!とまでは言わないものの、活躍したのは疑いの余地が無い。

「大相撲からの失踪事件」「新日と全日を両天秤」という出来事で、世間からの印象を悪くしたままプロレス界入りしたテンタだったが、大相撲出身のレスラーが数多く活躍し、大型レスラーを好んでいた馬場体制が水にあったのか、全日本でのんびりと成長していく。
体重を落とせという馬場命令を全く気にかけず、増量したのに動きが良くなったというエピソードは、テンタのマイペースらしさで溢れている。

彼のPrime Timeは、全日から移籍したWWF(現WWE)での活躍だろう。
アースクエイク・ジョン・テンタというキャラでホーガンのライバルに抜擢された彼の活躍に、新人レスラーの域を出た程度のイメージしか無い日本のプロレスファンは驚いた。
その後、ハリケーンとのタッグでナチュラル・ディザスターズを結成し、中堅どころに落ち着いた活躍をしていた彼は日本(SWS)に再来日する。

ここで例の「八百長野郎!」事件が勃発する。

噂では、北尾との2連戦で「東京ドームではテンタの勝利」「神戸では北尾の勝利」という流れだったのだが、プロレス界での大ヒールである北尾を破ったテンタに東京ドームが大歓声包まれる。これに北尾が気分を害したらしく、事件のキッカケがここで生じる(ちなみに、プロレスファンから同じく嫌悪されていたSWSで、始めての賞賛されての大歓声だったとも言われている)。
日付が変わった神戸では、北尾が勝つマッチメークだったのだが、彼はドームでの不快感を払拭すべく、テンタの技を受ける事なく圧勝しようという行動に出る。片や横綱出身、対するは無敗とはいえ三段目止まりの各界出身の両レスラー。北尾にしても意地があったのだろう。
が、ここでテンタが怯む事無く迎え撃つ姿勢に。
日本人離れした体格で、ガチでは最強と言われていた北尾だが、テンタの反撃体制にビビってしまいそのまま試合放棄。
その時、例の「八百長野郎!」というマイクアピールを北尾が残していった。

テンタは後のインタビューで、控え室に戻ると仲間レスラーから拍手で迎えられ、その後に多くのリスペクトを受けることになったと話している。
レスラー仲間からも、強いとされていた北尾の我儘を打ち砕いたのだから、当然の結果だろう。

その後、WWFと日本で活躍していたが、膝を悪くしてWWFを離脱。
膝のリハビリを兼ねて、WARに来日するようになる。
WWFで活躍していた頃のような戦い方ではなく、かなりのんびりなファイトスタイルであったが、それも彼の明るい性格を反映しており、好感が持てた。

WCWにもキャラを変え何度も登場したが定着せず、WARが規模を縮小して大物外国人レスラーをシリーズを通じて呼べなくなると、実質リタイヤ状態になり、トラック運送の会社を運営していたと聞く。

スポット参戦としてWWEに出場したり、全日の最強タッグに天龍のパートナーとして来日したりしたものの、完全なプロレス復帰はしなかった。

安定した生活を選んでいたテンタであったが、白血病には勝てなかった。
まだ若かった事を考えると、ガンの進行も早かったのだろう。
ともあれ、テンタの沢山の試合を、テレビや生で観られた事は、一プロレスファンとして、とても誇りに思う。

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ジョン・テンタが白血病で死去消息筋 昭和オヤヂのプロレス・格闘技blog

参照URL。
テンタ死去小佐野景浩公認サイト Maikai

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by barry_lions | 2006-06-09 18:11 | Battle


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