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2004年 06月 11日
第17ステージ(ジロ・デ・イタリア2004)
ジェリー・ライスは40歳を越えたWRとして、限界を感じながらも、第一線で活躍している。
そして、ファンは彼を後押しする。

天龍源一郎は、昨年誕生日を迎えた後に、新しい必殺技に名前をつけた。
「53歳」。
年齢を、ファンやマスコミに茶化される事に対し、皮肉を込めた命名だった。

ジロを制した過去のあるトンコフは、周りに「終った選手」と思われていたらしい。
35歳。ロード選手としては、峠を越えている年齢だ。
ジロの前夜祭での彼は、長髪が目立つアシスト選手に過ぎなかった。
ガルゼッリの為、サポートに専念していたトンコフは、その汚名を撤回すべくチャンスを伺っていた。

第17ステージは、山岳コースでも比較的な楽なステージと考えられていた。
休日と頂上ゴールに挟まれたこのステージは、総合を狙う選手は牽制しあって動かないだろうという予測通りの展開。

ここで抜け出したのは、ベルトリーニでありトンコフだった。
そして、更にアタックをかけたトンコフが、そのままステージ優勝をさらった。
1 Cunego Damiano Ita Sae 76:44:15
2 Honchar Serhiy Ukr Den 1:14
3 Popovych Yaroslav Ukr Lan 2:22
4 Simoni Gilberto Ita Sae 2:38
5 Mc Gee Bradley Aus Fdj 4:04
6 Belli Wladimir Ita Lam 4:20
7 Garzelli Stefano Ita Vin 4:26
8 Cioni Dario David Ita Fas 4:31
9 Pellizotti Franco Ita Alb 5:31
10 Valjavec Tadej Slo Pho 5:40
久しぶりの悪魔おじさんが登場。
悪魔おじさんもそろそろ年齢的に限界か?

例によって、第18ステージの見所を(とても長いがそのまま)引用。
スタートから30km余り進んだところで、プロトンは最初の上り、パソ・デル・トナレ(15.2km、斜度約6%)は、3週間近くレースを走ってきた選手たちの脚にはきつい。しかし、この2日間の上りの中では、まだやさしい方だ。パソ・デルトナレはステージの冒頭にあるが、この日のコースは距離が短いため、選手をふるいにかける役割をするかもしれない。

パソ・デル・トナレの海抜1883mの山頂を過ぎると、ロンバルディアのブレシア地方に入り、プロトンは下って、ポンテ・ディ・レンニョ(「木の橋」という意味)に向かう。この町に着くと、右折して、パソ・ガヴィアを登りはじめる。ここは、この日の上りの最難関で、今年の「チマ・コッピ」(ジロのコースで一番高い山岳につけられる名称)でもある。16.7km、平均斜度7.9%、山頂は海抜2621m~とてつもない山だ。

ここは、天候の影響もあり、最初にコースに組み込まれた1960年以来、一度ならずジロの歴史を作ってきた上りだ。(1960年、選手たちは44x25のギアを使い、イタリア人イメリオ・マッシーニャンがステージ優勝した。)またガルゼッリの言葉にあるように、ここは「地獄じゃないが、それにとても近い。」この言葉が信じられなければ、他のジロ総合優勝選手、アンディ・ハンプステンに聞いてみよう。彼は過去唯一のアメリカ人の総合優勝者だ。1988年6月5日に言ったことが参考になるかもしれない。カレンダー上は初夏。この日は「ウィンターワンダーランド(すばらしい冬景色の国)のレース」となったが、ハンプステン(またはモゼール、サローニ、キオッキーリ)によれば「地獄の国」だった。

ガヴィア峠に向かう最初の500mは下りだが、すぐに空に向かう道になる。最初の5kmの斜度はたいしたことがないが、それも、サンタ・アポッローニアの集落に着くまでだ。(海抜約1500m)ここから本当のガヴィアが始まる。道が狭くなり、アスファルトの状態が悪くなる。(だが、ここでぐちぐち言ってはいけない。20年余り前まで、上りのほとんどにアスファルト舗装されていなかったのだから!)そこが、斜度約16%と書かれた、いまいましい道路標識がある場所だ。(そして、その後すぐ最大19%まで上がる。)第87回ジロ・ディ・イタリアの参加選手でなければ、そこですばらしい風景を楽しめるだろう。(ここはステルヴィオ国立公園の入り口でもある。)

進むごとに坂がきつくなり、少し楽になっては、またきつくなる。そして斜度は、7%、9%、8、10、12、10%と変化していく。ずっと上りばかりが続き、選手たちは山頂に着くまでバイクの上で苦闘を続けなくてはならない。山頂まで3km付近で、200mの短く、中にライトが全くない暗いトンネルがある。地図の上では短く見えるかもしれないが、実際自転車で行くと、平坦ステージ1つ分より長く感じるかもしれない。トンネルから出ると、斜度15~16%の坂の温かい歓迎を受ける。ガヴィア峠までの残り500mになれば、斜度は6~7%以上になることはない。

ガヴィア峠の歴史的なシーンは、全てこの場所で起こってきた。

ガヴィアの「地獄じゃないが、それにとても近い」上りが終わると、プロトンはサンタ・カテリーナとボルミオに向かって下っていき、短い上りラ・モッタにかかるが、この日のこの状況では、ここでまた、選手はふるいにかけられることになるだろう。また数km下ると、ついに「地獄」の一日の最後の上り、ボルミオ2000のゴール地点までの9.9km、平均斜度7.5%の坂に入る。

優秀な山ヤギが(筆頭候補は、4年前ボルミオのゴールのステージで優勝したジルベルト・シモーニ)このレースを制するだろう。この日に、90kgの選手になり代わってみたい人などいるだろうか?
野球の延長で、まだ始まっていないが、地獄の山岳はそろそろ始まる!
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by barry_lions | 2004-06-11 22:27 | Bicycle


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