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2008年 01月 01日
日はまた昇る。
2007年に読んだ本(備忘録)。
日はまた昇る。
バスで知り合ったバスク人が二人入ってきて、酒をおごると言ってきかない。で、二人におごってもらってから、こちらもおごり返した。すると二人はぼくらの背中を叩いて、またおごってくれた。で、ぼくらもまたおごり返し、それからみんなで暑い日差しの中に出て、バスのルーフにのぼった。

アフィシオンとは、”熱狂”を意味する。アフィシオナードとは、闘牛を熱狂的に愛好する者のことだ。

何かを断念することで、何か別の物を手に入れる。もしくは、こちらから仕掛けて、何かを手に入れる。少しでも価値のあるものは、なんとか代価を支払って、すべて手に入れる。ぼくはちゃんと代償を支払って、自分の好きな物を手に入れてきたのだ。それによって、楽しい時間をすごしてきた。代償の支払い方は、さまざまだ。それについて学ぶとか、経験に頼るとか、イチかバチか賭けてみるとか、あるいは金を使うとか。生きる歓びとは、払った金に相応しい楽しみを確保し、それだけの価値のある楽しみを見きわめることにある。その人の意識しだいで、払った金に相応しい楽しみを得ることは可能なのだ。この世は金をフルに生かして食い込むには格好の場所だ。これは素晴らしい哲学のように思えた。が、五年もすれば、ぼくがこれまでに抱懐した他の哲学同様、さぞ愚劣なものに思えてくることだろう。

ここは世界でいちばん単純に暮らせる国だろう。ここでは何らかの曖昧な理由からこちらの友人になろうとして事態を複雑にする人間など一人もいない。もしだれかに自分を好きになってほしかったら、お金を少し使えばいいのだ。ぼくはすこしお金を使い、ウェイターはぼくを好きになってくれた。ぼくの価値ある人間的資質を、彼は気に入ってくれたわけである。ぼくがまたここを訪れれば、彼は喜ぶだろう。いつか、ぼくがもう一度ここで食事をすれば、彼は再会を喜び、自分の担当のテーブルにつかせたがるだろう。ごく健全な基盤に則っているが故に、その好意に嘘はない。ぼくはフランスにもどったのだ。

恋人と旅立たせて、ある男と馴染ませる。次いで別の男に彼女を紹介し、そいつと駆け落ちさせる。そのあげくに、彼女をつれもどしにいく。そして電報の署名には、”愛している”と書き添える。そう、これでいいのだ。ぼくは昼食をとりにいった。

by barry_lions | 2008-01-01 15:49 | Memo


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